『組織という道具を使いこなすための「自由」と「責任」』

私が建設会社の社員として勤務した時に新規部署を立ち上げた。

それは「企画開発部」であった。

併せて、別会社の設立(フーズ事業)にも携わらせていただきました。

そんな折に社長から言われた言葉がある。

「あなたは自由にやりなさい」であった。

私はその言葉の「重み」をその時は感じ得ることができなかった。

建設事業とフーズ事業の2足のわらじを履き、業務を進めてゆくうちに何時しか「創業の理念」と向き合いながら仕事を積み重ねてゆく自分自身に気づく。

それは、「自らに課された責任」とそこに伴う「意思決定」のバランスでありました。様々な課題と向き合いながら自分自身の立ち居振る舞い方に悩んだ末に導き出した答えがありました。

私は一旦社内から外に出て業務にあたるとき、社長の分身として考え判断し、行動するわけであるわけだから「社長ならどのように考え、判断するだろうか」を第1に考えようと決めました。

更に考えたのは、「組織を道具と考えた場合、道具を主人として仕事をするか、道具を使いこなして自ら考え仕事をするか」でした。

一般的に「責任」という言葉は「義務を果たす」・「責任を負う」と考えがちであるが、「責任」という言葉の本質は「応答(response)」「能力(ability)」であると考えるようになりました。

組織という道具のアクセルを踏む強さは、組織に属している一人ひとりに任されているものであり、そのことを「責任」というのではないかと私は気づかされました。

自分の意志でアクセルを踏み、ハンドルを動かす自由を手にすることと、道具(組織)から得られる反応を自分の意志の発現として結果を含めて任されることは表裏一体です。

組織の中では上司が責任をもって仕事を任せることになりますが、仕事を任せるとは、一定水準以上の出来栄えで答えてくれるだろうという上司の期待の下、部下がそれを了解し、それに応えるという関係が成立している状態のことを言うのであると思います。

当然、任せた責任は上司にあるわけで、

部下は正しく期待を理解しているのだろうか?

何か不安に思っていることはないだろうか?など・・・

期待水準のマネジメントは欠かせないものであります。

もし、最初から期待とそのレベルが部下に無ければ、結果は期待外れになってしまいます。

任せる際のコミュニケーションが肝要であると思います。

組織という道具を使って人が成長するためには、先ずは、組織が成果を上げるために、「自分はどの様な貢献をすることができるだろうか」と考える思考習慣を身につける必要があると思います。

それが、自由への扉を開き、組織という道具を使いこなすための第1歩です。

「自らの果たすべき貢献は何かという問いからスタートするとき、人は自由となり、責任を持つがゆえに自由となる」と仕事を通じて考えるようになりました。

常に胸襟を開き、心を自由にしていれば、どんな場所でも仕事はできることを実感したのです。

当時、社長が「あなたは自由にやりなさい」その言葉にはそんな思いが隠されていたのだろうと思います。

このような利他的な思考習慣を身につけることは自分を成長させ、未来の自分に期待を膨らますことができるのではないでしょうか。

その期待に応えようとする日々の積み重ねが人を成長へと導くのです。

仕事をするうえで、責任を回避することで自由を手放せば、人生の情熱の火は消えてしまいます。

指示されたことを行うだけの日常から脱し、小さくとも自分で考え、意思決定し、行動する自由を手にすることが働く喜びに繋がると思います。

私はその喜びを社長から教えて頂きました。

投稿者プロフィール

笠原玄一郎
笠原玄一郎代表取締役
・公益社団法人 日本医業経営コンサルタント協会
 認定登録 医業経営コンサルタント
・BCP(事業継続政策)研究会所属
・病院組織改革研究会所属
・働き方改革改善
・増患及び集患に伴うマーケテイング分析
・診療圏、患者分析(用地診断・科目選定・用地開発)
・開業、法人化に伴うマネージメント
・施設建設に伴うマネージメント
・歯科経営(自費収入強化・訪問歯科推進・開業支援マーケテイング)